日本一のパパ

とあるラーメン屋のご主人のお話です。

 

 Aさんは、3店舗のラーメン店を経営しています。元々厨房で下働きをしていたAさんにとって自分のお店を持つことは、夢でした。真新しさもあってすぐに人気店になり、2店舗目、3店舗目とオープンさせていきます。

 

 しかし、突然売上が伸びず、次第に客数も減少していきました。Aさんは朝早くから仕込みやスタッフが帰った後も1人で片付け、休みもなく一生懸命働いていました。でもどんどん売上は落ち、とうとう赤字に…月に100万円を超える赤字を出すのです。

 駅前でチラシを配ったり、割引チケットを配ったり、ポスターを貼ったりと努力を続けますが、改善されません。次第にAさんの顔から笑顔が消えて、眉間にしわを寄せて、自信も誇りも無くなっていきました。Aさんが夜遅く自宅に帰ると、妻と子どもが寝ており、起こさないように静かに着替えます。奥さんがAさんに「お疲れ様…」と声をかけますが、Aさんの表情は暗いまま、奥さんも、お店の経営がうまくいってないのはうすうす感じてはいましたが、Aさんに何と声をかけたら良いのかわからず、Aさんも奥さんに相談できないまま、暗い表情のまま、いつしか、会話も無くなっていきます。

 

 そんなある日………

 

 

 Aさんが、いつものように夜遅くなって帰ってくると、寝ている奥さんの横で、お子さんが起きていました。Aさんはそっとその子を抱きかかえます。すると、子どもは「……パ,...パ」と何か伝えそうでした。何を言っているのか、何を伝えたいのか聞き取れません。ですが、子どもは何回も同じことを言っています。「………ち………パ…パ」(パパという言葉は聞き取れたそうです。)何度も聞いてるうちにやっと聞き取れ「にほんいちのぱぱ」と言っていることに気がつきます。その瞬間Aさんの目には、涙があふれ、頬を伝って流れていきました。それまで必死に耐えていた心のたがが外れたように、涙が溢れてきました。悔しくて泣いているのか…いや違う、情けなくて泣いている。子どもの言葉に素直に「そうだよ」と答えらえない、うなずけない 「日本一のパパ」と言ってくれた子どもに素直に、しっかりと「そうだよ」と答えることができなくて……「こんな情けない自分のことを……日本一のパパと言ってくれる……思ってくれる…」Aさんは子どもを静かに布団の上に寝かせ、すぐに洗面所で顔を洗いながら声を出して泣くのでした。

 

翌日、目が真っ赤なままスタッフを集めて言いました。「今日から、すべてを変える。ラーメンの味も、接客も変える。」いきなり聞かされたスタッフはキョトンとした反応でしたが。あるスタッフが「どんな風に変えるのですか?」とAさんに尋ねると「俺にもわからん…今はわからん。でも変える。」スタッフが「そうは言ってもまずは何から変えるのですか?」と話すとAさんは「まずは、私が変わる!」スタッフが「何のためにですか?」Aさんは「日本一になる!」と答えます。それからAさんは毎日、毎日新商品、メニューを考えて、お客さまに新しいサービスを提供していくのです。それからは、お店の業績が改善されどんどん新しい店舗も出店され、どんどん大きなグループとなっていきます。

 

 このお話には、奥様の隠れた支援があったのです。

 

 奥様は、Aさんがいない日中に子どもに「あなたのパパは日本一のパパなのよ」と語りかけていたのです。うまくいかない時、失敗した時は誰かのせにして、言い訳ばかり探してしまいます。良い言い訳が見つかると今度はその言い訳に依存して、うまくいかないことを正当化します。人は夢がないとき、本気でなきときに人のせいに、社会のせいにしてしまいます。夢があるとき、本気のときは、不満や愚痴を言う暇がないのです。そして、不満や愚痴を言ってしまう自分が嫌で、嫌いになってしまうのです。子どもからの声で本気になれたAさんは、それから変わると本気になって夢を叶えます。そして、素晴らしいのは、奥様の「愛」ですね!

 「愛」とは役に立たないこと、うまくいかないこと、思い通りにならないことに思いを寄せること。うまくいってないAさんを思って、それでも子どもにAさんへの「愛」を語る。「愛」とはテクニックや技術や手法ではなく、信念に似ていると思います。うまくいってない状況、逆向の状態でも信じることができのが「愛」だと思うし、「愛」の素晴らしいところだと思います。

 未熟な愛は、あなたが必要だから、愛している!と先に相手の存在が必要で 

 成熟な愛は、あなたを愛すためにあなたが必要なんだ!と「愛」が先で相手は二の次

 なんですね!

人間の生きる意味

私が尊敬する小林正観さんのお話です。

 

 

 人間の生きる意味についてのお話です。

 

 

 小林正観さんの長女のお話です。

 

 小林正観さんは、30歳で結婚し、子どもが欲しい、欲しいとずっと思っていました。小林正観さんが33歳の時、子どもが生まれあまりにうれしくて、うれしくて「慶」という漢字をどうして使いたくて、慶子と名付けました。しかし、慶子ちゃんは染色体に異常があって知能に障がいがある子どもとして生まれました。子どもはずっと欲しいと思っていましたが、まさか自分の子どもが障がいをもって生まれてくるとは思っていなかった小林正観さん、なかなか障がいにを受け入れることができません。ショックで目の前が真っ白になったそうです。(本人談)半年ほど経って、新生児の600人に1人は何ならかの障がいをもって生まれてくると新聞のコラムに書いてあるのを見つけ、「この子は、障がいを持ってもいじめられない親を探して、私たち夫婦のもとに生まれてきてくれたんだ。」となんとか障がいを受け入れることができたそうです。実は、この慶子ちゃんから沢山のことを学んでいくことになるのです。

 

 

 慶子ちゃんは、知的に障がいもあり、筋肉も健康な人の1/3程度しかつかない障がいもあり、小学校の徒競走では、いつも最下位です。そんな慶子ちゃんが小学校6年生の時、クラスの女の子が足首を捻挫しました。その捻挫した女の子は、捻挫をしながらもどうしても運動会に出たい、徒競走に参加したいと担任の先生に言い、運動会の徒競走に参加します。捻挫した女の子は、慶子ちゃんと一緒に走ることとなっており、小林正観さんの奥さんはその事を知って、「初めて慶子ちゃんが、最下位ではないかもしれない。」と喜んでいました。

 小林正観さんは、運動会当日仕事で見学ができず、自宅で慶子ちゃんと奥さんの帰りを待っていました。慶子ちゃんと奥さんは、にこにこ笑顔で「ただいま」と言い自宅に帰ってきました。小林正観さんは、笑顔の2人を見て「徒競走は、最下位ではなかったのかい?」と声をかけると「ううん、最下位。」と笑顔で答えます。小林正観さんは、不思議に思っていると奥さんが運動会での徒競走と話を説明してくれます。

 

慶子ちゃんと徒競走

 

 足を捻挫した女の子はどうしても運動会に参加したくて、捻挫をおして運動会、徒競走に参加します。知的に障がいがあり、筋肉にも障がいがある慶子ちゃん、捻挫をおして参加する女の子と一緒の組で徒競走を走ることになり、初めて徒競走で最下位を回避できるかもと小林正観さんの奥さんは期待します。

 「よーいどん」と徒競走が始まると慶子ちゃんは一生懸命走りだします。捻挫をしている女の子は、やはり足が痛くて走れません。慶子ちゃんはその女の子のところまで戻り、肩を貸して一緒に走り出します。そして、ゴール直前で慶子ちゃんは女の子の背中を押して、慶子ちゃん自ら最下位を選択します。最下位を選択した慶子ちゃんですが、会場のみんなから拍手をもらい、慶子ちゃんに対して歓声が起こります。その光景を見た小林正観さんの奥さんは感動します。

 

 

 小林正観さんは、中央大学を卒業しています。小さい頃から勉強して、クラスメート

とテストの点数で常に競い合って、勝利してきました。結果を残すことに快感も得て、さらに勉強をして、結果を残し、さらに勉強する。競争することを肯定し、競争社会で勝ち残ってきた小林正観にとって勝機会があるのにその機会を自ら拒否する慶子ちゃんの行動が理解できませんでした。でも会場は慶子ちゃんの行動に感動している、何より慶子ちゃん自身が笑顔で幸せそうにしている。もしかして、競い合ってきた自分の人生が間違いだったのではないかと思い始めます。

 

 

 

プロ野球選手の松井秀喜さん

 

 元プロ野球選手の松井秀喜さんは、高校時代から有名でした。松井秀喜さんが高校3年生の甲子園で全打席敬遠され、試合に負けてしまいます。松井秀喜さんは、試合に負けて、勝負をしてくれなかった相手のチームを批判しませんでした。愚痴や不満を言わずにそのままプロ野球選手として活躍します。甲子園で全打席敬遠されたことが伝説となって「松井秀喜」さんをより一層輝かせるものとなりました。あの敬遠は、もしかしたら、試合に勝つことよりももっと大事なものを手に入れることためのだったのかもしれません。

 

 

慶子ちゃんと松井秀喜さん

 

 慶子ちゃんは徒競走で「勝つこと」を選ばず、勝たないことで感動を、松井秀喜さんは試合に勝てないことでそれが伝説に…結果も大事だと思いますが、結果を出さないことが後にとんでもない結果になることもあるということですが、このことから人間にとって、人生において「勝つこと」よりももっと大事なことがあるのかもしれませんね。

 

 

 

最後まで読んでくれたありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感謝婦人

感謝していますか?

 

 ある講演でのお話です。あるところに周りのひとから「感謝婦人」と呼ばれているご婦人がいました。このご婦人は、どんなことに対しても「感謝」できる素晴らしいご婦人なんです。

 この感謝婦人は20年前から体に不調をきたしており、いつも体のどこかに痛みを抱えているのです。その感謝婦人は20年前からの体の不調に関しても「感謝」しているのです。

 「神様は、私が弱いことを知っていて、私の体に一度に数か所の不調をきたしたら、耐えられないから、20年かけて、痛みを分散させてくれているのですね。神様に感謝します。」と感謝する感謝婦人。実に素晴らしいですね。

 感謝婦人は、北海道の旭川市に住んでおり、あの「氷点」の作家として有名な三浦綾子さんのご友人でもあるのです。そんな旭川20日間も雨が降り続け、皆が「洗濯物が乾かない」等と愚痴を言っている中、感謝婦人はしっかり感謝しています。どう感謝しているかというと様、感謝しています。一度にたくさんの雨が降ると川が氾濫し、土砂崩れが起きるから、雨を20日間に分けてくださり、ありがとうございます。」と言って感謝しているのです。感謝婦人、頭が下がります。

 

 愚痴や不平不満はすぐに言いたくなるものですが、感謝婦人は目の前の現象全てに感謝して、愚痴や不平不満を一切言いません。そんな感謝婦人に憧れてしまう私でした。

 

最後まで読んでくださり、感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勘違い

人生は、偶然の連続という人や全ては必然だという人がいますが、人生って本当は何なんですかね?

 

今回は人生について考えてみたいと思います。

 

 

 

とある心理学の実験を紹介します

 

とある裁判で訴えられているAさん訴える側のBさんがいて、あるグループには、Aさんの主張だけを聞かせます。また、もう一つのグループにはBさんの主張だけ聞かせます。また、もう一つのグループには両方の意見を聞いてもらい何が真実かを問うと、3つのグループ3つの真実ができました。つまり、この実験で何が言いたいかというと当然言えば当然なんですが、聞く情報によって真実は違うということです。まあ当然と言えば当然なんですけどね!冷静に考えると何もおかしいところはないのですが、実社会で冷静に判断できますか?ある人がAは仕事ができると言いますが、それはAさんの仕事できる面だけしか見てませんか?見えてませんか?また違う人は、Aさんは仕事ができないというが、Aさんの仕事ができない面しか見てませんか?見えてませんか?

 つまり、客観的になんて、この世には存在しないのです。

 

 

お釈迦様の実験

目隠しをした人たちの象を触ってもらって、「象」とはどんな動物か問うと、ある人は、「くねくねしていて、蛇のような動物だ!」また、ある人は「なんかがさがさしている動物だ!」また、あるものは「とても大きい動物だ!」と答えます。誰も嘘を言っていませんが、みんな違う印象を持っています。同じ象という動物なのに…

 

客観的なんて嘘、幻想

人間が人間である以上、客観的なんて存在しないし、幻想です。だから、「客観的に…」なんて言う人のいうことは信じてはいけないし、実に浅はかな考えを持つ人だと思ってください。人間は人間である以上主観でしか物を見れないのです。

 そのことを踏まえて、「あいつは才能があるから…」「あいつは才能がないから…」なんて言う人は無視しましょ♬

 

人は必ず成長する

人は必ず成長します。わかりやすい例としては、新しいスマホを使っていると徐々に慣れてきて、どんどんスマホを使用するスピードが速くなります。また、日々同じ日は無いのと同じで、毎日生きているだけで何かしら新しい経験をしています。通学・通勤で少し違って道を通るのも新しい経験をしているのです。新しい経験=成長なのです。つまり生きている以上、必ず何かしら新しい経験を行い、成長しているのです。成長しない人間はいないのです。

 

 

成長しない人がいないことも理解できたので、もっと自分を愛して人生豊かに過ごしましょう♬